私が私を忘れる前に

私が私でいられる時間は、思っているよりだいぶ少ないのかもしれない。
人生の時間ではなく、意識の在り方としての話。
働いている時間と睡眠時間、移動と食事以外の純粋な自分の為の時間は、かなり限られていることに、ハッとした。
人間は自分が思うより遥かに自動的で、受動的で、流動的だ。自分という意識無しに、自分を続けることは実に容易い。
選択の積み重ねが人生を造るとはいえ、選択が自分の自由意志に基づいて行われる場面は余り多くは無いだろう。
私達の人生の多くは、その場しのぎと同調圧力、疲労感からくる惰性や無気力で選んだ反復の無意識的決定で出来ている。
日々の生活の中で、あまりにも人生がルーティン化していくことと、周りに選ばされた人生を生きている気がすることに、今私は最も恐怖を抱いている。
その中で効率的に自分と向き合う一つの方法として、ブログを始めようと思う。
流れて消えてしまいがちな自分自身の気持ちや考えをまとめながら、少しずつ社会の中で敢えて切り捨てている感情や自我を取り戻していきたい。そして、少しでも日常の中で『私』を保って物事を選択していきたい。
これは『私』の存在の備忘録だ。